本日7月23日は、昨年(2023年)の愛子さま祭り(「愛子さまを皇太子に」)からちょうど一年!
「祭典から◯年」という観点だと、コロナ騒動で一年延ばして2021年に開催された東京オリンピックの開会式からちょうど3年です。
Wikipediaに載っている開会式の写真。とても華やかに見えつつ、
満場の観客に見えるのは、たまたま多色をちりばめたデザインの「椅子」で、実際は無観客開催でしたね。
偶然だけど、まるでこうなるのを見越したようなデザイン?と思わずにいられません。
今週にはパリ五輪が始まりますが、まだ「前回」なのに、「自国で開催されたオリンピック」の印象は、ほとんどの人にとって既にとても薄いものになっているのではないでしょうか?(個人的には、四半世紀前の長野五輪のほうが鮮明に覚えている程です)。
スポーツという、極めて肉体的な物事の祭典を、無観客という「生身の人間を排除」した形で行う。
単に物理的に観客がいなかった以上に、この日和見的な施策を行えてしまう精神的堕落が、国民の心に開いた「空虚」をいっそう広げ、同時に記憶さえも薄めてしまったのでしょう。
同時に、哀しい事に東京五輪で一番記憶に残っているのが、開会式の演出担当者達に吹き荒れた、キャンセル・カルチャーの嵐。ここで味をしめた俗情は、ジャニーズや松本人志などを引きずり落としつつ、いまだルサンチマンの刹那的な慰撫にだけ邁進を続けています。
このままだと、「あれから◯年」を思う度に、日本のあらゆる意味での没落を嘆く事になってしまいます。
「記念」とは良くできた熟語で、逆説的に考えると、後から思い出し祝われるような出来事は、それに関わる人達の「念」(想い、情熱)がしっかりと「記されて」来たようなプロセスを経ています。
ぜひ、後年に記念する価値のあるような今を積み上げて行きましょう!さしあたり、土曜日の「愛子さましか勝たん!」から!